天白ひらこし【ふく楽舎】
ふくふくな日々【下関ふぐ・フグ・河豚】
10-01 (Sat) 15:54
教法寺事件/文久3年8月16日 海峡裏文化塾・講師 古川薫
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『海峡裏文化塾』 in 小料理『瀬戸内』〓9月27日
講師/古川 薫 演題 教法寺事件〜先生は同名の小説を
出版されています
文久3年(1863年)8月16日夜/長州、正規軍(精鋭の武士軍団/
先鋒隊)と高杉晋作が農民の次男三男を結集して半月前に結成
した奇兵隊が衝突した教法寺・・【下関市赤間町3丁目16番】

※武士軍団が敗走、逃げ遅れた武士、蔵田幾之進が奇兵隊により惨殺
される。
物語は(実話です)その子息、千弥が仇討を果たそうとするが・・
標的が高杉晋作であるために、藩は仇討を止めさせる「蔵田家への
訓戒状」なるものを発し、金銭を与え一件落着として抑え込む。
しかし、そこは武士、子子孫孫まで怨念が引き継がれる。古川薫先生の
著書に『高杉晋作』を描いた本が数点あり、平成になって、先生の自宅
に80歳以上と思える老人(蔵田幾之進の曾曾孫?)が訪ねてこられ
「高杉晋作」を英雄として描くことに「片手落ち」と猛烈な抗議を受けた
とのこと。
要は、
農民を先導した(奇兵隊)高杉晋作を罰したい所だが晋作は藩から下関
の治安を任せられた直後の事件であり、事件一年位前から、外国の軍艦が
下関を襲撃する場面が頻発しており、晋作が藩にとり重要人物となりつつ
あったという時代背景があった。
四国連合艦隊と下関戦争はその後のこと。(下関前田に上陸占領される)
「めちゃめちゃ」に面白く(実話)、興味あるお話であった
懇親会用 日本酒 古川先生からの差し入れ
スッキリ?辛口 コップ八分目位飲みました

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