天白ひらこし【ふく楽舎】
ふくふくな日々【下関ふぐ・フグ・河豚】
02-27 (Mon) 08:03
永富 独嘯庵(ドクショウ庵)享保17年生まれ故郷で白砂糖製造
コメント(0)/トラックバック(0)
下関長門国
豊浦郡宇部村(山口県下関市
王司)に生まれた。幼名は鳳介。
13歳で医師、永富友庵の養子となった。14歳で江戸に出て医学の修業
を始めるが、医学にあきたらず山県周南のもとで儒学を学んだ。

独嘯庵の指導に端を発する製糖の技術は、長府藩(山口県)の殖産興業と
?なるほど効率のよいものでしたが、あまりの製糖量の多さに、砂糖密輸の
疑いをかけられ投獄され、事業中断となる
長富独嘯庵(どくしょうあん)の調査//王司郷土文化研究会

長富独嘯庵の墓/中央
長富独嘯庵(どくしょうあん)墓地の調査//王司郷土文化研究会

王司文化研究会のメンバーさんと
下関市立歴史博物館学芸員・松田和也さん/下段画像


?場所・下関市王司上町/宇部八幡宮横の裏山

※実は広畠家の明治期以前の墓が同じ墓地にありましたが6年前
に新墓地(別の場所)に移転合墓。
廣畠家旧墓地/移転の儀式〓清末西光寺住職

長富独嘯庵の墓がこの地にあることを「ふく爺」が知ったのは半年
程前のこと…しかも王司郷土文化研究会が正式?に場所確認した事
も近年のようです。
以医学に熱意、その才能は広く知られるようになったが、面白いことに19歳の頃、故郷の山口県で製糖業を始め、成功させている。
戻る
(c)fukurakusya