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街角おもしろ文化塾“あさが来た”下関版〓西原家/松琴堂物語

2016年05月18日 (水) 17:06
街角文化サロン・おもしろ文化塾
ゲスト・・安冨静夫さん(下関市立中央図書館館長)

 下関和菓子の老舗『松琴堂』創業期の秘話‼

 ゲスト 安冨静夫さん/右 
左/武部忠夫さん…文化塾企画世話人
  〓市民劇団・下関海峡座主宰
中原












朝












NHK朝ドラ?
  「あさが来た」下関版/西原家:阿わ雪
『阿わ雪本舗松琴堂』お菓子を本業とするようになって
150年。それ以前は、讃岐屋西原家として両替商、北前
船を相手とする問屋を営業、毛利長府藩から絶大な信用
を得て、街の「小年寄」さらに「御用達」を拝名。しかし返還
されるあてのない膨大な貸金、幕末から明治、近代社会へ
の転換は商人にとっても大変な変革の歴史を綴ることになる。




関東川(現.利根川)の整備費(川の氾濫修復工事)を
徳川幕府から長府藩に「大名普請」割り当て。

関東川普請〈銀2貫目〉の文書・・ 西原家古文書
銀2貫目
















覚  銀四百三拾目也 為冥加銀差出候受取
銀400
















明治4年の古文書 金五千両の借用の文書 但し無利
息にてと記入現在の金額に換算すねと3億円に相当する、
明治新政府は財政困難になり商家に強制寄附を行って
いたと見受けられる。
五千両












返済不可と解る貸付金が当然重荷となり西原家は問屋な
どの事業がゆきずまり、事業の転換を計らざるをえなかった。
こうして新しい事業としてお菓子の製造が始まる。

朝ドラ「あさが来た」で大阪の両替商は幕末から明治にかけて
困窮を極め、仕事の転換をせざるをえなっかった。

阿わ雪は慶応年代(1865年~)から製造、松琴堂の由来
は京都から「ウメさん」というお嫁さんが来られ、桂離宮の松琴
亭(桂離宮の茶室)から松琴堂という名前をつけたのでは、と
伝えられている。



 現在の『松琴堂』
松おもて












店内















 150年の歴史‼ 秘伝のお菓子『阿わ雪』
あわ雪












スキル不足・・~おいしさが伝わらない画像で松琴堂さん
誠に申し訳けありません。

安冨さんが語られた『阿わ雪』製法のこだわり等々の秘話
のひとつ。
阿わ雪の製法は、一子相伝で、子孫に伝わったもの。一代
に一人だけ全ての製法を受け継ぐことになっている。




















 

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