山口新聞2月16日記事に「ふく爺」(広畠敬喜)の
コメントが……
記事詳細//周辺(阿弥陀寺町の海岸側)には70年代まで
割烹や料理店が軒を連ねていたが、客足減少などで閉店し、
現在は『春帆楼』など数点のみ。
往時を知る市内のフグ料理専門店の広畠敬喜顧問(76)
は「当時は下関の水産業の活気もあり料亭が10軒以上並
び、接待利用で八幡製鉄所(現新日鉄住金八幡製鉄所)
からも人が来ていた。かっての料亭街を象徴する店のお富の
復活はうれしい」と喜ぶ。…以下略
山口新聞記者さんから、「お富」再開について下関が栄えて
いたころの阿弥陀寺料亭街の質問?「ふく爺」は即座に80
歳台後半の「その道に詳しい」人を紹介しますと申し上げた
のですが、そのまま雑談的に「ふく爺」の知っている範囲で
話した事が記事になった次第‼
昨年8月頃撮影〓下関市阿弥陀寺町
右手から『一の家』木造家屋~20年以上前?廃業・・
『日光会館』赤色のビル~10年以上?前に廃業・・(安倍
総理の奥様昭恵夫人が地元の有志と下関活性化を目指
しコミニュテー発信基地としてゲストハウス(簡易宿泊所も)を
創業予定?
『割烹・ふようてい/4階建て和風ビル』〓元『料亭・ふくま』
が廃業、市内の老舗.美術陶芸品店さんが10年前位に
買収、新たに開業⇒現在営業中・・
一番左が「旧・お富/木造」〓昨年の同時期は閉鎖中
ちなみに//国道を挟んだ反対側は赤間神宮、春帆楼、
昭和30年代前半までには料亭.割烹店がずらり・・
『岡崎』『中島旅館』『赤間別荘』『銀水』『関門荘』『早鞆荘』
『一の家』『日光会館』『お富』等のお店が市内外からの顧客で
賑わっていた。
※「ふく爺」コメントの補足
官営.八幡製鉄所以来、八幡製鉄本事務所は昭和30
年代前半までは八幡製鉄所エリート社員の登竜門的権威
ある場所であったと聞く。
旧八幡製鉄所本事務所
1899(明治32)年、八幡製鐵所の創業2年前に建設された、
長官室、顧問技師室、技監室、主計室などがあり製鐵所の
中枢の事務所。