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下関に居を構えて初とされる「ふくの絵」 ⇔ 『ふく楽舎』ホ-ル.ステ-ジのバックに展示
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三輪画伯の奥様が下関出身(注-1)の方で、60歳過ぎから下関に住まれるようになられた。
弊社、平尾光司会長(注-2)が下関にお住みになるのであれば、洋画家の先生であることを
知りながら、ぜひ「ふく」を描いて欲しいとお願いをしたことに始まる。
描き始めるまで約一ヶ月間、ふく仲卸、「平越」の天然トラフク生け簀にふくの生態見学に
通われたと聞く。
注-1~奥様について
下関市立東部中学校教諭…「ふく爺」同校3年生時に初赴任(昭和28年)だったようです
山口県立長府高教員…中学教諭は2年間
注-2~平尾光司について
(株)平越。社長・(株)天白ひらこし、会長<平成18年3月逝去>
唐戸魚市仲卸組合組合長・下関観光コンベンション協会会長・下関ふく連盟会長・
下関赤間神宮崇敬会会長(平尾亡き後‥元安倍総理のご母堂安倍洋子さん)
「魚屋の社長にしては、各方面のお付き合い、特に文化人?との交流も広かった」
と語られていた人物