ふくふくな日々【下関ふぐ・フグ・河豚】blog page

20歳から約15年間お世話になった恩人と寿司割烹『浪花』へ

2009年06月03日 (水) 16:32
先日40年ぶりにお会いした、Tさんと念願かなって「ふく爺」あこがれの店『浪花』に昨夜行く。

T氏プロフィル‥アバウトです(5月23日ブログ参照)
生まれ:昭和3年(81歳) 下関市~通称、奥小路…純粋な馬関子(バカンコ)ですね

明治大学卒業後、地元、当時の関門報知新聞の記者。
昭和29年・老舗菓子『江戸金.亀の甲せんべい』請われて番頭さんへ

昭和40年代中頃、長門市仙崎のかまぼこ大手『大留』役員として長門市住民へ

その後
長門市商工会議所・専務理事で退職

20歳の頃ですから、50年前になりますがT氏は山口県を代表する超有名な老舗菓子
メ-カ-の新進気鋭の営業部長。

「ふく爺」は下関で最初に産声をあげたフク加工商店の店員、忘れもしない岡山天満屋
開催「第一回下関物産展」下関市から出展の依頼があったが経営者も、当催事が何で
あるかも当時としては全く想像外であり無関心である中、T氏が商品と人間を派遣すれば
何とかするからと言われ「ふく爺」が派遣され、T氏から商品陳列から、百貨店側への申し
入れ等何から何まで教えて頂いたことが記憶に残っている。

その後も市内外の歳事販売でお世話になる。
当時は何事も先例のないことを打ち出していた。又めちゃくちゃに良く売れた。

歳事(下関おみやげ製造販売業者:10数社参加)の売り上げの数パ-セントを、
ご苦労さん慰労懇親会?会費に。

T氏と当時の下関商工会議所担当M氏が発起人となり、よく呑み、よく遊んで、学び多き
<良き時代>二十歳代に強い影響を受けたお一人。

 
Tさんは「浪速」の先代さん時代によく利用していたそうです。

2軒目はカクテルバ-『木口屋』に ・・(1月30日ブログ参照)
店に入るなりマスタ-は、50年ぶりだったのにもかかわらず、Tさんの名前を言い
当てる。
マスタ-の20歳台前半、銘店・唐戸の『クラブ.モナミ』ボ-イさん時代の話に花が
咲く。

Tさんのカラオケ 2曲。
アイジョ-ジの「ガラスのジョニ-」ともう1曲、題名失念。
81歳とは思えない声量、甘い声、歌のテックニック、参りました!プロ(並)です。

      お互い‘生きてて良かったの、楽しい一夜でした


       田代

      ※カクテルバ-『木口屋』‥Tさん

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